平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 〜 永遠に

蓮の花咲く千秋公園の堀を前景にし、緑に囲まれ佇む平野政吉美術館。1937年(昭和12年)に藤田嗣治によって描かれた、大壁画「秋田の行事」と調和した大展示室。画家・藤田嗣治と作品の寄贈者・平野政吉の思いが込められた作品と美術館を後世に伝えたい。 (…

先人、平野政吉が後世に残してくれた「秋田の文化」

平野政吉美術館に行くと入口付近に、1966年(昭和41年)、平野政吉が美術館建設の報告のためパリ郊外の藤田嗣治(レオナール・フジタ)を訪れた際に撮影された、二人が固い握手を交わしている写真が掲げられている。 平野政吉の表情に、念願を達成した自信が…

千秋公園の堀と平野政吉美術館

千秋公園は、初代秋田藩主佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、造園家、長岡安平が日本庭園として、設計し、整備した公園である。1988年(平成元年)には、日本の都市公園100選にも選ばれている、秋田市民の憩いの…

藤田嗣治画伯の「秋田の行事」はあの建物と一体になってこそ秋田の宝

蓮の花咲く千秋公園のお堀を前景にして眺める平野政吉美術館(秋田県立美術館)は、秋田市で私が一番好きな風景です。その風景が消えてしまう日がくるとは ― 。 平野政吉美術館の移転計画は多くの秋田市民、秋田県民を悲しませた。昨年2月1日には、知事が「…

レオナール・フジタ最後の作品「平和の聖母礼拝堂」と平野政吉美術館

レオナール・フジタ(藤田嗣治)は自らの画業の集大成として、フランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」を制作した。フジタはこの「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、ステンドグラス、彫刻などの制作を自ら手掛けた。 この「平和の聖母礼拝堂」と秋田の「平野…

平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想 … 大壁画「秋田の行事」の制作

平野政吉は、1936年(昭和11年)に、藤田嗣治の初期の傑作「眠れる女」を購入したのを始め、「北平の力士」、「五人女」、「カーニバルの後」など大作12点を購入した。平野政吉は藤田の作品を集めた美術館の建設の夢を抱き、「あなたの絵を集めた美術館を建…

平野政吉と藤田嗣治の出会い … 美術館建設の夢

明治28年(1895年)、秋田市の江戸時代 から続く米穀商の家に生まれた平野政吉は、若い頃、我が国航空界の黎明期に飛行機の操縦に没頭、操縦中に東京湾に墜落し、九死に一生を得るなど、破天荒な人物であったことが知られているが、経済的に恵まれ、十代の頃…

藤田嗣治「秋田の行事」と平野政吉美術館は一体の文化遺産

1937年(昭和12年)、秋田の平野政吉の米蔵で藤田嗣治が描いた大壁画「秋田の行事」。この大壁画は平野政吉と藤田嗣治が構想した美術館の壁を飾る壁画として制作された。平野政吉は美術館構想を実現するために、翌1938年(昭和13年)に美術館建設に着手した…