千秋公園の堀と平野政吉美術館

      



       



      



 千秋公園は、初代秋田藩佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、造園家、長岡安平が日本庭園として、設計し、整備した公園である。1988年(平成元年)には、日本の都市公園100選にも選ばれている、秋田市民の憩いの場所である。
 平野政吉美術館は、秋田の資産家、平野政吉の収集した美術品を収蔵し、公開するために、1967年(昭和42年)に開館した。特に1937年(昭和12年)に藤田嗣治秋田市内の平野政吉の土蔵で描いた、縦3.65メートル、横20.5メートルの大壁画「秋田の行事」を展示、鑑賞することを主目的に建てられている。また、「秋田の行事」の展示を床から6尺(約1.8メートル)の位置に上げること、両端を少しずづ迫り出して据えることなどを藤田嗣治が直接アドバイスしている。
 40数年の歳月を重ね、千秋公園の堀と堀を前景にした美術館は季節の移ろいとともに風情ある光景を醸し出している。美術館が建てられたこの場所は、将来を見据え、恒久的な場所として、当時の秋田県知事、秋田市長によって決められたものだ。秋田の先人達が残してくれた素晴らしい風景、街並みを今度は私たちが次の世代に残していきたいものである。


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