先人、平野政吉が後世に残してくれた「秋田の文化」

 平野政吉美術館に行くと入口付近に、1966年(昭和41年)、平野政吉が美術館建設の報告のためパリ郊外の藤田嗣治レオナール・フジタ)を訪れた際に撮影された、二人が固い握手を交わしている写真が掲げられている。
 平野政吉の表情に、念願を達成した自信が窺え、藤田の表情は喜びに満ちているように見える。二人に固い友情、深い絆があったことを示す証拠の写真でもある。また、美術館の創設者で収蔵品の寄附者である平野政吉の挨拶のことばが掲げられている。

 昭和42年5月  平野政吉 

 私は幼時から絵が好きで、少年時代に画家にならんと志望したこともあります。かたわら、我が国の航空界の黎明期に飛行機の研究に没頭し自ら操縦桿を握り又墜落したこともありましたが、美術への愛着がたち難く戦争中も蒐集を怠らず今日にいたりました。
 過去57年間蒐集したものは刀剣、陶器、仏画、石器、鉄器、銅器、蒔絵、浮世絵、初期洋画、泰西洋画、日本画など美術全般にわたりますが、特に世界画壇の一人者藤田嗣治氏とは永年にわたる交友で、その名作を世界に最も多く所有しました。
 今回これらの蒐集品の中から320点(注)を厳選し財団に寄附しました。純粋芸術品を通じて青少年が豊かな人間に成長することを願ってやみません。

  (注) その後さらに寄附を加え、現在総計601点となっている。

 命を懸け収集した美術品を、ふるさと秋田のために残してくれた、秋田の偉大なる先人、平野政吉からのメッセージと言えるでしょう。
 このメッセージに込められた平野政吉の理念は、平野政吉が命を懸け建てた平野政吉美術館とともに後世に末永く伝えるべきである。



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